『ちっこ房だより』~エコ・スタイルな〈住まいのくふう〉と〈シンプル木工〉のすすめ~

〈気もちいい暮らし〉のあれこれ話し…〈自己満足〉な空間づくりめざして…ひと任せじゃない、マイ・チャレンジの…〈木づくり人〉からのメッセージ集です。

ぼくの〈エコ・スタイル〉な住まいのくふう   〈序-はじめに-〉〝わが家〟のざっと見

※ぼくのメイン・ブログは『どこゆきカウントダウン-2020-』、こちらもご覧ください。
※記事掲載の基本は、祝日をのぞく〈火・木・金〉。ただし、いま現在は「新コロ」渦中の特別期間中です。

※これからご紹介する5回の、わが家への「床暖房」導入とそれにまつわるお話しは、昨年11(~12月)に、このブログを立ち上げるキッカケになった大事でしたが。アレコレ事情があって、以後、掲載がつづかないままになっていました。このたび「新コロ」感染パンデミックという、世紀的一大事に遭遇して、これが再開の途になったワケです。そこで、あらためて再掲。そこから新たなスタートをきらせていただきます。よろしく、おねがいします。

   ……………

 -No.0001-
★2020年05月12日(火曜日)
★11.3.11フクシマから → 3351日
★延期…オリンピック東京まで → 438日
★旧暦4月20日
(月齢19.0、月出23:39、月没08:39)

 

 

 

 

 

 

 


(写真は04年3月)

 

★この家を棲み家に…
 ぼくが、いまの家に越して来たのは1978年(昭和53)の晩秋。
 家は野村ホ-ム(野村不動産)の建売分譲住宅で。
  〇敷地=201.75㎡(61.02坪)
  〇延べ床面積(建坪)=107.60㎡(32.54坪)
         ※1階=66.24㎡、2階41.36㎡ 
  〇ツーバイフォー工法の2階建て、4LDK(築41年)
    
 両親の老後を養うのに好い環境を求めて、京浜工業地帯の川崎(神奈川県)から移り住んで40年余になります、が。
 さいわい建物(建築)にはアタッタようで、通常のメンテナンス(それはキチンとしてきたつもり)のほかは、大工事の修繕など、これといった面倒を経験せずにきて、おかげさまで、いまだに不都合はありません。


 家は住まい方ですね。
 父母ともに、この家からお浄土へと旅立って。
 いまは、この家で青春後期からの人生を歩み、齢をかさねてきた、ぼくたち夫婦だけの暮らし。


 子はなく、いちどは、売却の途〔みち〕を考えたこともあります。
 ちなみに
 2017年(平成29)に不動産会社に査定してもらったときの。
  〇推定価格=3,147万円
  ※これには、別棟の工房(ちっこ房)は含まれていません。
 この家の立地は、東京都の多摩地区、町田市の郊外。


 最寄り駅へ、徒歩約10分(650m)。
 あとは、バスで3つの駅へ約15~25分の距離にあります。


 これからの〈少子高齢化社会〉、土地柄としては〈敬遠されがち〉にちがいなく。
 その筋の専門家の見方も、「東京オリンピックまでは、まぁ上向き…」ながら、以後は「不透明」とのことでしたし。
 ぼくたちも(そんなもんだろうな)と思っています。


 それでも、「2人で元気なうちは、この家を終〔つい〕の棲家に」と決めました、ワケは。
  ①福祉・介護施設の〈キャパシティー不足と質〉の問題、民間施設の場合には〈高額〉がネックであり。
  もっとだいじなのは、老齢になっても〈自立と共生〉の気概がなくては〈楽じゃない〉のは同じ。
 だからでした。


 けれども、かといって、けっして〈ガンコにはなるまい〉覚悟でいます。
 つまり、いまは〈げんき〉でも、これからなんらかの〈不都合や無理〉が生じたときには、その〈解決に全力〉を傾けようと思っています。
   


★エコ・リフォーマー
 それと、もうひとつ。
「この家」を無下にしたくなかったのは、工房「ちっこ房」の存在。

 というのも……


 ぼくが、それまでの著作・編集デスクワークにひと区切りをつけた、ミレニアムの2000年(平成12)。
 あらためて、自身の本心・本音とつきあう日々をすごした結果、「木、紙、土」に寄り添って生きよう、と思いきめました。


 いま考えてみれば、それは、旅のジャーナリストとして全国津々浦々を見てまわるうちに気づかされた、日本の風土から個性が失われていくという事実からでした。
 敗戦国ニッポンが、驚異的な高度経済成長を遂げて発展し、貧しかったむかしの暮らしから解放されたことは確かでした…けれども、そのかわりに失ってしまった、とりかえしのつかない大きなものが自然とのつながり。
 
 日本じゅうのマチはいうまでもなく、ムラまですべての住まいと暮らしの空間が、文化住宅」という名の画一的で無個性なものに、すっかりとって代わられてしまったことが、その根源にありました。


(なんとかしたい)野望をいだいたわけじゃありませんが、どこかに息抜きの風穴くらいは開けてみたかった。


 日本の木造文化の見直しです。
 そこで都立品川技術専門学校の門をたたき、DIYアドバイザー科に1年通いました。
 ほんとうは「木工技術科」に入りたかったのですが、年齢(30歳以下)制限があって…
 この学校は、いまも「都立城南職業能力開発センター」に名を変えてありますが、DIYアドバイザー科はなくなっています。
 
 ぼくにとっては、〈手直し〉でした。
 …というのは、もともと〈ものづくり〉が好きだったぼくは、独学でそれまでに、ひととおりの家具・建具・内装技術を身につけ、道具も必要なものは最低限は揃っていました…が。


 あくまでも見様見真似の自己流でしたから、このチャンスにしっかり基礎を学んで、点検と修正をしておきたかったわけです。
 おかげさまで、DIYアドバイザー科は、そんなぼくにうってつけ。
「木、紙、土」に寄り添う知識と技術を、短期間に、オールラウンドで身につけることができました。


 世の中は、その頃、化学物質過敏症に悩む人たちが増え、子どもにはアトピー性皮膚炎が多発して、社会問題になっており。
 ぼくは、学校に通いながら、人の健康に害をおよぼさない素材の勉強にも励んで。


 技術学校をおえた翌2001年にはDIYアドバイザーの資格を取得。
 同じ年の秋には『あなたにもできる住まいのエコ・リフォーム』を執筆・出版。


 みずからライフドクタースタイルのエコ・リフォーマーライフ・ケア・マネージャーとして、木工制作インテリア・リフォーム手づくり教室といった活動をはじめました。
 その後には、エコと健康に関連して福祉住環境コディネーター樹医フット・レッグ・セラピストの各資格も取得して、指導と制作にあたる日々。


 そこで、必要・不可欠になった工房、和風木造の「ちっこ房」を2004年に建築。
 この仕事場ができたことでハズミがつき、まず〈見本〉展示も兼ねた、わが家のエコ・リフォームからすべてが始まった、というわけです。


 その一部始終を振り返りながら、ひとつの日本の住まいの考え方、そこから生まれる気もちいい暮らしのあれこれを、お伝えできれば…と思います。


 工房「ちっこ房」が、そのすべての中核。
 ぼくの、こんな考えと実践を、参考にしてくださる方があれば、うれしい。
それこそ〈一期〔いちご〕の幸せ〉というものです。